中学校を卒業した私は

800m2分44秒 1500m5分40秒くらい 3000m12分28秒というどうしようもないタイムを引っさげて高校へ入学します。

 

高校編
高校入学後も私は陸上部に入部します。

当時1500を5分30以上かかっていた私はにとっては練習がきつすぎて帰宅途中で酸欠で倒れたり、楽しいと思ったことはあまりありませんでした。それでも一応辞めずに続いたのは同期や先輩に恵まれたからだと思います。

上記したどうしようもないタイムの私でしたが、ハードトレーニングの甲斐あって一年時は1500が4分54、5000mが18分54くらいまで伸びてシーズンを終えます。

その後は貧血になったりしましたが、2年になると同時に少し覚醒します。身長が1年で10cm伸びたことなども影響してると思いますが、5000mのタイムが18分54→17分43に伸びました。また秋には更に17分18くらいまで伸びました。3000mscにも挑戦し10分台で走れるようになり、大阪総体への出場も叶いました。
順調に成長を遂げたように見えますがそれ以上に同期や後輩は伸びてました。今となってはなぜ自分が伸びなかったのかは何となくわかります。しかし、当時は気づかなかったです。その理由も後日書いてみたいと思います。
その後は右膝蓋骨の骨折などで三年時のインターハイ路線は絶望的なものとなりましたが、3年の秋に5000mを16分55秒で走るまで回復し、一応は満足感を持って引退しました。

 

大学編へつづく

一発目の更新

一発目のブログ更新です
一発目なのでまずは私の経歴から書いていきたいと思います。
後で見やすいように中学時代編、高校編、大学編、社会人編と4部に分けて更新します。

というわけで、まずは中学時代編ですが、私の中学校では専門的知識を持った顧問がおらず、練習が生徒にほぼ全て任せられていた為毎日遊んでるだけのような部活でした。
基本的にはアップをした後いつも走高跳をして楽しんでいました。当時の私の専門は走り幅跳びです。
6月くらいにはじめての試合に出ましたが、コール漏れに終わりました。
9月の大会で4mを跳ぶことができて嬉しかったのを覚えています。
そんなこんなでシーズンが終わります。
そして冬季練習
私の中学校では冬季は持久系の練習を全員でしてました。中学生のする練習としてはいい試みだと思います。
陸上部以外のクラブも持久系の練習をクラブでするようになり、体育の持久走(1500m)にも精が出ます。

持久走編
一年の冬の持久走
私は何だかんだクラスで4位くらいでは走っていました。タイムは6分10秒くらい
このタイムでクラス3位になるというのが門●市のレベルの低さを物語っていると思います。
結局学年トップが5分切るくらいで持久走シーズンは終了。彼は野球部でした。
私はテニス部の女の子に負けたのを覚えてます。彼女のタイムは5分50秒くらい。

厨二編〜
中学2年になってなぜか長距離に目覚めます。理由は世界陸上大阪でラガト選手筆頭に長距離選手がめちゃくちゃカッコよく見えたからです。
その時の世界陸上大阪の中長距離には
ラガト、キプロプ、キプチョゲ、ベケレ、覚醒前ファラー 、覚醒前ラップ、タデッセ等現在も世界トップクラスのランナーがゴロゴロ出場していました。そりゃもうかっこいいに決まってます。
そんなこんなで夏の終わりに3000mに出場し
ました。その時のタイムは12分28秒でした。可愛らしいタイムです。
9月には800と1500に出場しましたが、2分48秒と5分43秒くらいでした。
才能のかけらもありませんw
冬季練習は一応頑張ったつもりでしたが、三年になってもタイムは伸びず。800mに2回ほど出場しましたが、2分44秒くらいで引退しました。

 

 

高校編へつづく